経沢香保子さんのインスタグラム写真 - (経沢香保子Instagram)「【人生の大きな転機のこと】  ロングインタビューを受け 自分のキャリアや人生を振り返ってみる機会がありました  そこで  簡単な自己紹介も兼ねて 私の人生の転機について…  -  私は団塊ジュニア世代 1973年に生まれ  小学生のときから  「将来、女性らしく生きながら、 仕事と育児を両立するにはどうしたらいいのか?」  と真剣に悩む子供でした  私が小さい頃は、専業主婦という道しかない感じで 女性は良い結婚をしたら幸せで 「寿退社」っていう言葉が普通で  25歳すぎたらクリスマスケーキと一緒で 女は24歳までに売れないと(嫁に行かないと)おしまい  みたいな世間一般の風潮でした  私はそんな時代に強い違和感があったので 「女性が経済的に自立するにはどうしたらいいか」  そんなことばかり考えてました  =  就職も氷河期時代、 女性は説明会にも入れてもらえない  こんな時代にどう生き延びればいいのかと考え まず、女性云々を言ってるよりは、  「ビジネス能力がわかりやすい仕事をしよう」  ということで、新卒でリクルートの営業を希望し まさに死ぬほど働いて、自分の営業力の可視化に成功しました  でも、このままの人生では  女性としての幸せと 社会人としての成功と  両方は掴めないのではないかと 創業間もない楽天に転職したら  自分の会社を持つ  という人生があることを発見したのです  そこで、2000年に26歳でトレンダーズという会社を 自宅で一人で起業  =  20代で女性社長という生き方は、当時とても珍しく マスコミの取材もたくさん受け おかげさまで、会社も成長し  同時に私も女性としての一般的な幸せを 手に入れることになります  もしかしたら30歳くらいが 人生の幸せのピークだったかもしれません 会社も順調、自分らしく仕事ができて 人生の軌道に乗った気がしたので  30歳で結婚し、出産という女性としてのライフスタイルも手に入れようと 人生を次のステージに進めることにしました  =  そんな幸せの絶頂の時、妊娠5ヶ月の安定期に入った時  「お腹の子供が育ってない」  そう病院で告げられ、緊急で慶應病院に搬送され 検査に検査を重ねた結果、先生から  「あなたの子供は難病で、生まれてこないかもしれない 中絶しますか?」  と問われるのです  =  自分の力で自分の人生を切り開いてきて 理想の女性としてのライフスタイルを叶えようとした時  まさかの予想もしない出来事 全く先の読めない人生に、、  「この子は私の子なので、どんな状況も受け入れ 最後まで責任を持って育てます」  そう宣言して、日赤医療センターに搬送され 予定より1ヶ月以上早く生まれてきた娘は 1500グラムの超未熟児  力がなさすぎて、自分で母乳を吸うこともできないので 私が搾乳した母乳を注射器で注入するところからスタート  さらに24時間介護が必要で NICUに入院していて  心臓の力も弱いからと、 数百万円もかかる人工心臓の手術も受けました  私は、どんなにお金がかかっても 全財産を失っても 自分の子供の命を守りたいと 覚悟していましたが  退院する日に病院から請求されたのは 娘のオムツ代だけだったのです  ===  日本の医療と制度に助けられて、 私は社長としてもっとできることがあるのではないかと  その日まではどこか 自分の女性として、仕事人としての成功が欲しくて 視野は自分目線だった気がします  NICUは1泊8万を超える料金 娘の手術、 多くのお医者、看護師さんに支えられた 彼女の人生を  社会に還元することが 次の私の人生の目標になりました  =  そして、会社を上場させようと決め たくさんの社員を雇用し、 女性が在宅でも稼げるインフルエンサーという 仕事を作り、 ストックオプションで資産を作れる社員も生み出そう 資本市場にも愛される、 社会の一つの器としての会社を作ることに決めました  =  おかげさまで苦労だらけでしたが  なんとか30代の最後に、 東証マザーズに上場することができ 当時最年少の女性社長としてたくさん話題にしていただき 本当に関係者の皆様には感謝しています  私は、長女を亡くしているので、 これだけ娘の命のために たくさんの人にお世話になったのだから、 社会のための人生をどう生きようか 助けてもらった娘の命をどう未来につなごうか  そう考えて2014年「キッズライン」を創業 上場して市場からいただいたお金は この会社に賭けようと 自分のお金をどんどん投下しました。  私の月収が2万円の時期も長く続き 何年も恐ろしい金額の赤字で苦労しましたが  たくさんの素晴らしいシッターさんや 育児でお困りの親御様に必要としていただき  キッズラインも第10期に突入して とてもしっかりしたメンバーに囲まれ たくさんの方に必要としていただき感謝です  まだまだ未熟者ですが、これからも頑張ります。 引き続き宜しくお願いします  = 実は今回 愛沢えみりさん @emiri_aizawa の会社の女性を応援するメディアでインタビュー頂き🙏お話してます 前編はこちらに @lumily_official  #育児と仕事 #女性起業家 #キャリア」9月28日 23時07分 - kahokotsunezawa

経沢香保子のインスタグラム(kahokotsunezawa) - 9月28日 23時07分


【人生の大きな転機のこと】

ロングインタビューを受け
自分のキャリアや人生を振り返ってみる機会がありました

そこで

簡単な自己紹介も兼ねて
私の人生の転機について…

-

私は団塊ジュニア世代
1973年に生まれ

小学生のときから

「将来、女性らしく生きながら、
仕事と育児を両立するにはどうしたらいいのか?」

と真剣に悩む子供でした

私が小さい頃は、専業主婦という道しかない感じで
女性は良い結婚をしたら幸せで
「寿退社」っていう言葉が普通で

25歳すぎたらクリスマスケーキと一緒で
女は24歳までに売れないと(嫁に行かないと)おしまい

みたいな世間一般の風潮でした

私はそんな時代に強い違和感があったので
「女性が経済的に自立するにはどうしたらいいか」

そんなことばかり考えてました



就職も氷河期時代、
女性は説明会にも入れてもらえない

こんな時代にどう生き延びればいいのかと考え
まず、女性云々を言ってるよりは、

「ビジネス能力がわかりやすい仕事をしよう」

ということで、新卒でリクルートの営業を希望し
まさに死ぬほど働いて、自分の営業力の可視化に成功しました

でも、このままの人生では

女性としての幸せと
社会人としての成功と

両方は掴めないのではないかと
創業間もない楽天に転職したら

自分の会社を持つ

という人生があることを発見したのです

そこで、2000年に26歳でトレンダーズという会社を
自宅で一人で起業



20代で女性社長という生き方は、当時とても珍しく
マスコミの取材もたくさん受け
おかげさまで、会社も成長し

同時に私も女性としての一般的な幸せを
手に入れることになります

もしかしたら30歳くらいが
人生の幸せのピークだったかもしれません
会社も順調、自分らしく仕事ができて
人生の軌道に乗った気がしたので

30歳で結婚し、出産という女性としてのライフスタイルも手に入れようと
人生を次のステージに進めることにしました



そんな幸せの絶頂の時、妊娠5ヶ月の安定期に入った時

「お腹の子供が育ってない」

そう病院で告げられ、緊急で慶應病院に搬送され
検査に検査を重ねた結果、先生から

「あなたの子供は難病で、生まれてこないかもしれない
中絶しますか?」

と問われるのです



自分の力で自分の人生を切り開いてきて
理想の女性としてのライフスタイルを叶えようとした時

まさかの予想もしない出来事
全く先の読めない人生に、、

「この子は私の子なので、どんな状況も受け入れ
最後まで責任を持って育てます」

そう宣言して、日赤医療センターに搬送され
予定より1ヶ月以上早く生まれてきた娘は
1500グラムの超未熟児

力がなさすぎて、自分で母乳を吸うこともできないので
私が搾乳した母乳を注射器で注入するところからスタート

さらに24時間介護が必要で
NICUに入院していて

心臓の力も弱いからと、
数百万円もかかる人工心臓の手術も受けました

私は、どんなにお金がかかっても
全財産を失っても
自分の子供の命を守りたいと
覚悟していましたが

退院する日に病院から請求されたのは
娘のオムツ代だけだったのです

===

日本の医療と制度に助けられて、
私は社長としてもっとできることがあるのではないかと

その日まではどこか
自分の女性として、仕事人としての成功が欲しくて
視野は自分目線だった気がします

NICUは1泊8万を超える料金
娘の手術、
多くのお医者、看護師さんに支えられた
彼女の人生を

社会に還元することが
次の私の人生の目標になりました



そして、会社を上場させようと決め
たくさんの社員を雇用し、
女性が在宅でも稼げるインフルエンサーという
仕事を作り、
ストックオプションで資産を作れる社員も生み出そう
資本市場にも愛される、
社会の一つの器としての会社を作ることに決めました



おかげさまで苦労だらけでしたが

なんとか30代の最後に、
東証マザーズに上場することができ
当時最年少の女性社長としてたくさん話題にしていただき
本当に関係者の皆様には感謝しています

私は、長女を亡くしているので、
これだけ娘の命のために
たくさんの人にお世話になったのだから、
社会のための人生をどう生きようか
助けてもらった娘の命をどう未来につなごうか

そう考えて2014年「キッズライン」を創業
上場して市場からいただいたお金は
この会社に賭けようと
自分のお金をどんどん投下しました。

私の月収が2万円の時期も長く続き
何年も恐ろしい金額の赤字で苦労しましたが

たくさんの素晴らしいシッターさんや
育児でお困りの親御様に必要としていただき

キッズラインも第10期に突入して
とてもしっかりしたメンバーに囲まれ
たくさんの方に必要としていただき感謝です

まだまだ未熟者ですが、これからも頑張ります。
引き続き宜しくお願いします


実は今回
愛沢えみりさん @愛沢えみり の会社の女性を応援するメディアでインタビュー頂き🙏お話してます
前編はこちらに
@lumily_official

#育児と仕事 #女性起業家 #キャリア


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2023/9/28

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