山口みらんさんのインスタグラム写真 - (山口みらんInstagram)「🌈🌈🌈  私の大切な家族。 リヨンが虹の橋を渡りました。  本日、初七日を迎えたので皆様にご報告させて頂きます。  6月4日で14歳でした。  リヨンはてんかん発作と不整脈の持病を持っており特に気圧等で体調の変化が激しく、急に体調悪くなってしまった日も台風が来ていた深夜の事でした。その後、病院に連れて行った時には心拍数が30程になってしまっていました。失神を何度も繰り返してしまっていました。 先生に入院を勧められ、リヨンは酸素室の中で3日間入院しました。危ないかもしれないと先生から電話が来た日もありました。毎日可能な限り酸素室の、リヨンの近くにずっと隣に居ました。このままだといつ亡くなっても分からないと先生からご提案を受け、病院と変わらない環境にするめにも自宅に酸素室を設置しリヨンをお家に帰らせてあげることにしました お家に戻るために久しぶり触れることができたリヨンの温かさとあの時の表情は一生忘れられません。 自宅では家族皆が酸素室から離れず、常時声をかけてました。心無しかリヨンの表情も少しおだやかに見えました。深夜になり少し仮眠しようと酸素室前に布団を敷いて一緒にリヨンと眠りにつきました。 母が先に起き、私にリヨンが息をしていないことを伝えてきました。ここでリヨンが虹の橋を渡ったことになります。その時は、まるでお昼寝をしてるかのような、いつもの寝顔のようにも見えまだ真実を全く受けいれられませんでした。 深い悲しみと共に私は自宅に戻したのが良くなかったのか?とても後悔した時もありました。 その後、先生に虹の橋を渡るにあたり、きれいにしてもらう事になりました。 先生が開口一番に、「とても安らかなお顔ですね。お家に戻って安心して嬉しかったんだね」と言って下さりました。 その言葉を聞いてからは、リヨンをお家で看取ることが出来て良かったと思えました。 先生にきれいにしてもらってからは、いつものように寝ている姿にしか見えず、声をかけるとすぐにこっちを向いてくれるように感じました。 1日リヨンと家族みんなで過ごし、リヨンの思い出話をし、沢山撫でて、リヨンの感覚を体に永遠に刻み込みました。 翌日ペット霊園での火葬になり、リヨンのお身体も虹の橋を渡りました。 沢山のピンクのお花と、大好きだったぬいぐるみのお友達と、大好きな骨のおやつと共に旅立ちました。 リヨンはお家が大好きだったので、自宅供養という形で常にリヨンが居たリビングの真ん中に大きな祭壇を作り永遠のリヨンの居場所を作りました。 火葬時にペンダントにリヨンのお骨を入れてもらい、肌身離さず常に共に行動してます。 それが、今の私の心を保つ精神安定剤の役割となっています。  リヨンをお迎えしたのは私が中学3年生、14歳の頃でした。高校受験もリヨンがいたからこそ志望校に合格し、リヨンのおかげで今でも仲が良い大切な友人に出会う事ができました。  アイドル活動を始めてからは、嬉しかった事は真っ先にリヨンに報告し見守ってくれてありがとうのハグ。涙を流してる時は自然と隣にいてくれて、疲れてる時もリヨンをハグするだけで、癒されて頑張れた。原動力そのものでした。 当時私は自分のサインとセットかのようにリヨンの似顔絵のイラストを色んな所に描きました。リヨンの存在を皆に残したくて。当時のファンの皆さんもリヨンの事を愛して下さりとても誇りに思ってます。ありがとうございます。  その後の就活も、何をするのも全て私の原動力そのものはリヨンの存在でした。リヨンとの時間こそが幸せでした。  私が今まで歩めた道はリヨンと一緒だったからこその、人生であり リヨンを愛してるからこそ、学んだ優しさや、思いやり、愛する事の意味。 リヨンが隣に居てくれたからこその人格形成でした。  心はまだまだ巨大な穴がぽっかり空いたままで、悲しみと苦しみと寂しさの渦中ですが 私が今すぐ同じ場所に向かったとしても、きっとリヨンは悲しむと思うので この残りの人生を、心にリヨンを宿し変わらず共に歩んでいきたいと思います。 一生一緒。永遠に私の大切な家族です。 ありがとう。そしてこれからも共に。 リヨン大好きだよ。   #家族  #ウエストランドホワイトテリア   #リヨン  #虹の橋で待っててね」6月13日 20時44分 - yamaguchi_miran

山口みらんのインスタグラム(yamaguchi_miran) - 6月13日 20時44分


🌈🌈🌈

私の大切な家族。
リヨンが虹の橋を渡りました。

本日、初七日を迎えたので皆様にご報告させて頂きます。

6月4日で14歳でした。

リヨンはてんかん発作と不整脈の持病を持っており特に気圧等で体調の変化が激しく、急に体調悪くなってしまった日も台風が来ていた深夜の事でした。その後、病院に連れて行った時には心拍数が30程になってしまっていました。失神を何度も繰り返してしまっていました。
先生に入院を勧められ、リヨンは酸素室の中で3日間入院しました。危ないかもしれないと先生から電話が来た日もありました。毎日可能な限り酸素室の、リヨンの近くにずっと隣に居ました。このままだといつ亡くなっても分からないと先生からご提案を受け、病院と変わらない環境にするめにも自宅に酸素室を設置しリヨンをお家に帰らせてあげることにしました
お家に戻るために久しぶり触れることができたリヨンの温かさとあの時の表情は一生忘れられません。
自宅では家族皆が酸素室から離れず、常時声をかけてました。心無しかリヨンの表情も少しおだやかに見えました。深夜になり少し仮眠しようと酸素室前に布団を敷いて一緒にリヨンと眠りにつきました。
母が先に起き、私にリヨンが息をしていないことを伝えてきました。ここでリヨンが虹の橋を渡ったことになります。その時は、まるでお昼寝をしてるかのような、いつもの寝顔のようにも見えまだ真実を全く受けいれられませんでした。
深い悲しみと共に私は自宅に戻したのが良くなかったのか?とても後悔した時もありました。
その後、先生に虹の橋を渡るにあたり、きれいにしてもらう事になりました。
先生が開口一番に、「とても安らかなお顔ですね。お家に戻って安心して嬉しかったんだね」と言って下さりました。
その言葉を聞いてからは、リヨンをお家で看取ることが出来て良かったと思えました。
先生にきれいにしてもらってからは、いつものように寝ている姿にしか見えず、声をかけるとすぐにこっちを向いてくれるように感じました。
1日リヨンと家族みんなで過ごし、リヨンの思い出話をし、沢山撫でて、リヨンの感覚を体に永遠に刻み込みました。
翌日ペット霊園での火葬になり、リヨンのお身体も虹の橋を渡りました。
沢山のピンクのお花と、大好きだったぬいぐるみのお友達と、大好きな骨のおやつと共に旅立ちました。
リヨンはお家が大好きだったので、自宅供養という形で常にリヨンが居たリビングの真ん中に大きな祭壇を作り永遠のリヨンの居場所を作りました。
火葬時にペンダントにリヨンのお骨を入れてもらい、肌身離さず常に共に行動してます。
それが、今の私の心を保つ精神安定剤の役割となっています。

リヨンをお迎えしたのは私が中学3年生、14歳の頃でした。高校受験もリヨンがいたからこそ志望校に合格し、リヨンのおかげで今でも仲が良い大切な友人に出会う事ができました。

アイドル活動を始めてからは、嬉しかった事は真っ先にリヨンに報告し見守ってくれてありがとうのハグ。涙を流してる時は自然と隣にいてくれて、疲れてる時もリヨンをハグするだけで、癒されて頑張れた。原動力そのものでした。
当時私は自分のサインとセットかのようにリヨンの似顔絵のイラストを色んな所に描きました。リヨンの存在を皆に残したくて。当時のファンの皆さんもリヨンの事を愛して下さりとても誇りに思ってます。ありがとうございます。

その後の就活も、何をするのも全て私の原動力そのものはリヨンの存在でした。リヨンとの時間こそが幸せでした。

私が今まで歩めた道はリヨンと一緒だったからこその、人生であり
リヨンを愛してるからこそ、学んだ優しさや、思いやり、愛する事の意味。
リヨンが隣に居てくれたからこその人格形成でした。

心はまだまだ巨大な穴がぽっかり空いたままで、悲しみと苦しみと寂しさの渦中ですが
私が今すぐ同じ場所に向かったとしても、きっとリヨンは悲しむと思うので
この残りの人生を、心にリヨンを宿し変わらず共に歩んでいきたいと思います。
一生一緒。永遠に私の大切な家族です。
ありがとう。そしてこれからも共に。
リヨン大好きだよ。

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#虹の橋で待っててね


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2023/6/13

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