小脇美里のインスタグラム(misatokowaki) - 4月17日 10時06分
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大好きな祖父が他界し、慌しい日々を過ごしておりました。
久しぶりの更新で気づけば4月。
やっと気持ちの整理がつきました。
祖父は、小さな頃から近所に住んでおり
身近な存在として本当にたくさんの時間を
共にしました。
小さな頃から、おじいちゃん・おばあちゃん子で、
よく祖父母の仕事場に行き、その端で本を読むのが
大好きだった私。
祖父母は今で言うとアパレル、
当時の言い方で"ブティック"を経営していて。
祖父はオーダーメイドで服を作り、
祖母は店舗の運営、接客と経営面を。
今の私を形作っているのは、確実に2人の遺伝子や、
幼い頃から身近にファッションがあった影響が強いなと
感じています。
幼い頃から、祖父の作る服でたくさんの人が喜ぶ顔や、
バリバリ働く祖母を見て育ち。
いつもかわいい服を私にも与えてくれ。
おしゃれをする楽しさや高揚感を身をもって
教えてもらいました。
祖母は小学生の頃に亡くなってしまいましたが
それからも祖父は服を作り続けていました。
大学に入学したときも祖父がワンピースを仕立ててくれ。
これ、かわいいなーと雑誌の切り抜きを見せると祖父が作ってくれたりすることも多く。
なので私がアパレルに就職したとき、
誰よりも喜んだのは祖父でした。
しかも立ち上がりで爆発的な人気となった当時の
ブランドは、人手が足りず。
急遽、祖父がパターンをひいた服もありました。笑
(それを着たエビちゃんがCanCam表紙を飾ったときは大喜びで何冊も雑誌を買っていた😂)
デザイナーさんが、このパターン美しい!すごい技術だね。 と褒めてくださったのは嬉しかったなぁ。
その後、編集者となったときにも毎月CanCamを買い
お店に飾り「うちの孫がやってるんです!」と
自慢していてくれたそうで。
完全に、ミセス向けの店舗にいつもCanCamが
飾ってある違和感たるや。笑
とにかく孫のことを大好きで、いつもいつも
私の仕事を応援してくれた祖父でした。
子どもが生まれてから仕事を続けるか悩んだ時にも
いつも背中を押してくれたのも祖父でした。
90歳になっても、顧客さんからお願いされたら
針と糸を取り出し、魔法のようにササッと服を作るほどの
元気さで、1人で自活もしていて。
きっとこのまま、ひ孫の成人式を見届けるかもね!笑
なんて話していたのですが。
夏に体調を崩し、徐々に体力がなくなり
亡くなってしまいました。
でも最後の最後まで、危篤になってからも生き続け、
家族に何回も会いに行けるチャンスをくれ。
家族全員、しっかりお別れを言いに行くことができました。そしてひ孫である、息子・娘が行くと、目を閉じることが多くなっている中でも目を開け、手を握り返すパワーがあり。
大切なものを思う気持ちの強さを感じました。
コロナ禍になり、おじいちゃんも高齢だから
私たちと会うのは少し控えた方がよいかも…と言うと、
「孫やひ孫に会えないくらいなら、死んだ方がマシだ!!
何言ってんだ!そんな配慮やめてくれ。」
と言い続け。気をつけながらも月に1回は必ず会えていて。
本当に大切なことは何かをいつも教えてくれていた
おじいちゃん。
なので、もっと会えばよかったとか、もっとこうしたらよかったという後悔は幸いにもないのだけれど。
やはり、会いたい人には会いたい時に会い
ありがとうの気持ちはいつも伝えることがどれだけ
幸せなことなのだろうと改めて。
大人になった今も頻繁に会えていたからこそ、
喪失感がすごすぎて。本当に本当に悲しかったけれど。
泣いている私に、息子がふと
「ひいじいちゃんさ、前よりもずっと今のが近くにいるよ。大丈夫だよ。」と言ってくれ。
その通りだなと。
おじいちゃんの生きた証は確実に、
私や家族の中に刻み込まれているのだと強く感じます。
あー😮💨
なんだか取り止めもなく長くなってしまいましたが🙏
大切な人が亡くなった悲しみから、
どうしてもSNSを更新する気になれず。
長らく更新があいておりましたが。
日常は進み、新年度もスタートし。
変わらず、慌ただしい日々。
子ども達と共に今日も元気に笑って過ごしています☻
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2023/4/17