播戸竜二さんのインスタグラム写真 - (播戸竜二Instagram)「『ヴィッセル神戸』 ・ 振り返ります。 ・ 2001年。岡田さんがコンサドーレを退任する事になり、岡田さんに呼ばれた俺も、退団する決意を固めた。みんなが良くしてくれ、エースと認めてくれているクラブからの旅立ち。 ・ 新しいチャレンジの場所は地元ヴィッセル神戸。22歳と若く、コンサドーレで結果を残した俺には、たくさんのチームからオファーが来た。その中でヴィッセルを選んだ理由は一つしかない。地元?それもある。けど、一番の理由は彼だ。そう!憧れの男。キングカズ、三浦知良だ! ・ 彼を見て育った。彼みたいになりたかった。そんな彼と同じチームでサッカーができる。そんなチャンスがあるのに、掴まない選択肢はない。 ・ 実際に接するカズさんは、思った通りの人で、永遠のサッカー小僧という言葉が本当に良く似合う。毎日、毎日、自分を磨く為に100%を使っている。今まで自分がしてきた100%なんて甘い。そう思えるほどにストイックでした。 ・ 自分の中で一つ決めていた事。絶対にカズさんと馴れ合わない事。プロフェッショナルとプロフェッショナルの関係でいる。一緒に遊びに行きたい気持ちは山ほどあったけど、そうしたら軍門に下ってしまう。22歳の俺はそれだけとんがっていた。(笑) ・ 2002年は、カズさん以外にも城彰二さんや平野孝さん、岡野雅行さんや望月重良さん。そうそうたる元代表の選手達がいた。布陣だけを見れば豪華やったけど、結果はなかなか出なかった。 ・ 1人1人の個性が強く、チームもまとまりきれていなかった。 ・ 川勝良一監督から松田浩監督にも変わり、難しさを感じたシーズンで、個人的にも4得点と、期待されて入団したのに、不甲斐ない1年だった。 ・ 写真2枚目の清水との最終節は、2ゴールを決め、なんとかJ2に落ちないで終われた。いろいろ難しさを感じたシーズンでした。 ・ 2003年シーズンは副島博志監督でスタート。このシーズンも難しい1年になり、7ゴールに終わり、自分のチカラの無さを実感。もっと成長しないといけないと思う、23歳のシーズンでした。 ・ 2004年シーズンはハシェック監督で、プレシーズンから本当に厳しいトレーニングの連続で、カラダが壊れてしまうかと思ったけど、自分のカラダにフィットした。ヘディングシュートの技術が上がるようなトレーニングもたくさんあり、ペナルティーボックス内ではワンタッチが基本とハシェック監督に教え込まれた事も幸いして、17得点のキャリアハイのゴールを取ることができた。 ・ 憧れの日本代表も視界に入ってきた2005年。 ・ ユニフォームの色もクリムゾンレッドに変わる。ヴィッセル神戸が白黒のタテジマだったという事を知っている人も少なくなってきたかな?(笑) ・ 松永英機監督に始まり、レオン監督、パベル監督と、監督が変わり、なかなか結果も出ず、J2に降格してしまった。 ・ 個人的にも怪我をして、早く復帰する為に急ぎ、また怪我をする。チームを引っ張るエースとして、全てを背負い込んでいたあの頃。期待に応えたい、チームを勝たせたい。そんな気持ちだけが空回りし、不眠症みたいなものにもなり、キャリアの中で1播、精神的にキツかった時かもしれない。 ・ ・ 地元の選手、象徴的な背番号13。愛されているのはわかっていた。そんなことは無いと言う人もいると思うけど、俺はそう感じていたし、J2に降格しても、このクラブの為にやる覚悟もしていた。 ・ そんな時に、プロにしてくれたクラブ、ガンバ大阪からオファーが来た。当時のガンバは2005年優勝し、更に戦力補強をしようとしていた。 ・ 25歳。代表を目指したい。優勝を経験したい。プロにしてくれたクラブの為にチカラになりたい。恩返しがしたい。 ・ そう思った時に、移籍という選択肢しか無かった。批判があるのはわかっていた。残れば一生愛してもらえるのもわかっていた。 ・ ただ、ココロがそれを許さなかった。チャレンジ。厳しい中でのチャレンジ。そうなった時に、後ろは振り返らなかった。行く時だと思い、決断した。 ・ それから、ずっとずっとブーイングされた。涙まではしなかったけど、全てをかけて戦ったチームから、今までの自分を全否定されているような気持ちになった。 ・ ウィキペディアに書かれてるみたいに、お金の問題で出て行った訳じゃない。お金を考えて移籍した事は、キャリアにおいて一度もない。 ・ ただ、チャレンジがしたかった。もっと上に行きたい。自分を試してみたい。純粋にその気持ちだけだった。 ・ もう少し言葉なり、行動なり、上手く移籍の仕方はあったかもしれない。そこだけが心残りで、今でも考える。ただ、神戸に在籍した4年間は、神戸の為に戦った。それだけは自信を持って言えるし、あの応援を背に戦えた事を誇りに思います。 ・ 選手を引退した後の皆さんからのコメントや、ヴィッセル神戸が引退の事をインスタにあげてくれて、死ぬほど嬉しかった!本当にありがとうございます! ・ やっと自分の想いを書けるようになった。いろいろなモノから解き放たれた感覚です。 ・ そして、播戸竜二は次のチャレンジに向かいます。 ・ ・ #引退 #振り返り #2002 #2003 #2004 #2005 #ヴィッセル神戸 #ありがとう  #播戸竜二物語」10月10日 11時57分 - ryuji_bando

播戸竜二のインスタグラム(ryuji_bando) - 10月10日 11時57分


『ヴィッセル神戸』

振り返ります。

2001年。岡田さんがコンサドーレを退任する事になり、岡田さんに呼ばれた俺も、退団する決意を固めた。みんなが良くしてくれ、エースと認めてくれているクラブからの旅立ち。

新しいチャレンジの場所は地元ヴィッセル神戸。22歳と若く、コンサドーレで結果を残した俺には、たくさんのチームからオファーが来た。その中でヴィッセルを選んだ理由は一つしかない。地元?それもある。けど、一番の理由は彼だ。そう!憧れの男。キングカズ、三浦知良だ!

彼を見て育った。彼みたいになりたかった。そんな彼と同じチームでサッカーができる。そんなチャンスがあるのに、掴まない選択肢はない。

実際に接するカズさんは、思った通りの人で、永遠のサッカー小僧という言葉が本当に良く似合う。毎日、毎日、自分を磨く為に100%を使っている。今まで自分がしてきた100%なんて甘い。そう思えるほどにストイックでした。

自分の中で一つ決めていた事。絶対にカズさんと馴れ合わない事。プロフェッショナルとプロフェッショナルの関係でいる。一緒に遊びに行きたい気持ちは山ほどあったけど、そうしたら軍門に下ってしまう。22歳の俺はそれだけとんがっていた。(笑)

2002年は、カズさん以外にも城彰二さんや平野孝さん、岡野雅行さんや望月重良さん。そうそうたる元代表の選手達がいた。布陣だけを見れば豪華やったけど、結果はなかなか出なかった。

1人1人の個性が強く、チームもまとまりきれていなかった。

川勝良一監督から松田浩監督にも変わり、難しさを感じたシーズンで、個人的にも4得点と、期待されて入団したのに、不甲斐ない1年だった。

写真2枚目の清水との最終節は、2ゴールを決め、なんとかJ2に落ちないで終われた。いろいろ難しさを感じたシーズンでした。

2003年シーズンは副島博志監督でスタート。このシーズンも難しい1年になり、7ゴールに終わり、自分のチカラの無さを実感。もっと成長しないといけないと思う、23歳のシーズンでした。

2004年シーズンはハシェック監督で、プレシーズンから本当に厳しいトレーニングの連続で、カラダが壊れてしまうかと思ったけど、自分のカラダにフィットした。ヘディングシュートの技術が上がるようなトレーニングもたくさんあり、ペナルティーボックス内ではワンタッチが基本とハシェック監督に教え込まれた事も幸いして、17得点のキャリアハイのゴールを取ることができた。

憧れの日本代表も視界に入ってきた2005年。

ユニフォームの色もクリムゾンレッドに変わる。ヴィッセル神戸が白黒のタテジマだったという事を知っている人も少なくなってきたかな?(笑)

松永英機監督に始まり、レオン監督、パベル監督と、監督が変わり、なかなか結果も出ず、J2に降格してしまった。

個人的にも怪我をして、早く復帰する為に急ぎ、また怪我をする。チームを引っ張るエースとして、全てを背負い込んでいたあの頃。期待に応えたい、チームを勝たせたい。そんな気持ちだけが空回りし、不眠症みたいなものにもなり、キャリアの中で1播、精神的にキツかった時かもしれない。


地元の選手、象徴的な背番号13。愛されているのはわかっていた。そんなことは無いと言う人もいると思うけど、俺はそう感じていたし、J2に降格しても、このクラブの為にやる覚悟もしていた。

そんな時に、プロにしてくれたクラブ、ガンバ大阪からオファーが来た。当時のガンバは2005年優勝し、更に戦力補強をしようとしていた。

25歳。代表を目指したい。優勝を経験したい。プロにしてくれたクラブの為にチカラになりたい。恩返しがしたい。

そう思った時に、移籍という選択肢しか無かった。批判があるのはわかっていた。残れば一生愛してもらえるのもわかっていた。

ただ、ココロがそれを許さなかった。チャレンジ。厳しい中でのチャレンジ。そうなった時に、後ろは振り返らなかった。行く時だと思い、決断した。

それから、ずっとずっとブーイングされた。涙まではしなかったけど、全てをかけて戦ったチームから、今までの自分を全否定されているような気持ちになった。

ウィキペディアに書かれてるみたいに、お金の問題で出て行った訳じゃない。お金を考えて移籍した事は、キャリアにおいて一度もない。

ただ、チャレンジがしたかった。もっと上に行きたい。自分を試してみたい。純粋にその気持ちだけだった。

もう少し言葉なり、行動なり、上手く移籍の仕方はあったかもしれない。そこだけが心残りで、今でも考える。ただ、神戸に在籍した4年間は、神戸の為に戦った。それだけは自信を持って言えるし、あの応援を背に戦えた事を誇りに思います。

選手を引退した後の皆さんからのコメントや、ヴィッセル神戸が引退の事をインスタにあげてくれて、死ぬほど嬉しかった!本当にありがとうございます!

やっと自分の想いを書けるようになった。いろいろなモノから解き放たれた感覚です。

そして、播戸竜二は次のチャレンジに向かいます。


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2019/10/10

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