キャンヒロユキさんのインスタグラム写真 - (キャンヒロユキInstagram)「【御礼 そして妹のこと】  7月7日、披露宴を無事に執り行いました。  ご列席いただいたみなさま、ありがとうございました。おかげさまで楽しい式になりました。 これまでお世話になったみなさんを招待したかったのですが、会場のキャパにも限界があって、どうしても招待できない方もたくさんいらっしゃいました。すみません。  またFacebookなどを通してお祝いくださったみなさん、ありがとうございます。  最後の挨拶で、はじめて人前で妹のことを語りました。  ご存知の方も多いと思いますが、僕には6歳下の妹がいました。  彼女は11年前の28歳の時、婚約者とともに交通事故で亡くなりました。 高速道路で、居眠り運転の車に追突されたのが原因でした。  その日は父の還暦のお祝いの日で、両親、妹、婚約者、遅れて僕が参加、5人でつつましいながらも楽しく過ごしました。  嬉しいニュースがあった日でもありました。妹がこれまで何度もチャレンジしていた教員採用試験にその年合格、「これまでは南部に住んで親孝行できなかったから、中部勤務希望って出したからねー」と語ってくれたこと。 その年か来年には、入籍しようと考えていることなど。  人見知りで、いつ実家に寄っても車で待っていた婚約者が、うちの父のお祝いだからと長居をして、たくさんおしゃべりしてくれたようです。 婚約者がうちの実家に上がってこんなにゆっくり過ごすのも初めてのことで、それも両親を喜ばせたひとつだったのかもしれません。  そして、妹と婚約者がいざ帰る、という時。 普段は僕がお酒を飲むので、いつも妹に送ってもらうのですが、その後に用事があったので、「今日は飲んでないし、自分で帰る」と言って、駐車場まで行き、2人を見送りました。生きた2人を最後に見たのは僕でした。  その後、あの事故があり(実際は事件として取り扱われいます)、2人は亡くなりました。 あの2人が僕をこの世に残してくれた、とみんな悲しみながら話しました。  僕もそう思います。  そう思いながらも片隅には、自分だけ生き残ってしまった感が頭に浮かぶこともありました。 自分の残った人生から10年削ってでもいいから、あの2人と1晩でも会って、乾杯していろんなこと話したい、と考えていました。  うちの一家は「本当に楽しそうな、理想の家族よね」と母の友人らに言われていましたが、あの瞬間から「一番悲しい、辛い家族」という風にみなさんの目に映っていたかもしれません。  そんな家族を救ったのが、僕が仕事で関わる芸人やテレビ、ラジオ、舞台、そして星槎の生徒や先生らの存在でした。  披露宴の挨拶でお話ししたので詳しくは述べませんが、本当に感謝しています。  僕は事故の当時、仲良くしている女性がいました。 あの事故があって、僕は当時悲しみを帯びて生きていたと思います。 そんな僕とうまくいくはずもなく、別々の道を進むことになりました。  その時に「私は、妹さんのことはやっぱり背負えない」  とぽつりと言われました。 その人には今でも感謝しかありませんし、全く恨んだりはしていません。 本当に「ありがとう」の一言です。  ただ、僕は一緒に背負ってもらおうという気もなかったし、もし僕が疲れたら背中をさするくらいでいいのにな、と思いました。  それからも、いろんなご縁や出会いがありました。 ですが、もともと自分からなかなか気持ちを言うほうでもなく、いざという時に「妹のことを背負えない」と言われてしまわないかと、ふと思ってしまっていました。  また、そう思ってしまうことを言うことで、重たく考えさせてしまわないかと考えすぎることもありました。 生き残った自分だけ幸せになってもいいのか、と考えることもありました。  あれから11年経ちました。  11年かかりました。  本当にみなさんのおかげで、毎日ハッピーに生きたい、と言えるようになりました。  もう僕はこれからの人生、ブレることはないと思います。  妹と婚約者が亡くなったその日、自分の中で決めたことがありました。 「2人の葬式も含めて、自分が死ぬまでこれから起きることを全部しっかり見て、生きていこう」  いろんな人と会って笑いあって、たくさん旅に出て、いろんな美味しいものを食べて、いろんなものを見て、いつか2人に「こんなことがあってさ〜」と話せたらいいな、と。 人生10年削って2人に会うのではなく、その10年、たくさん笑って、その話を2人に話そう、と今では思っています。  と、真面目に語りましたが、みなさん、そして嫁さんと一緒にこれからも楽しく仕事もプライベートもワッハッハと笑いながら過ごしていきたいと思います。  みなさんに、社会に、生徒やこどもたちにたくさんのお返しをしていきたいと思います。  これからもよろしくお願いいたします。  感謝。  父の還暦祝いに2人と撮った写真も載せておきます。 賑やかなことが大好きな妹が「お兄ちゃん披露宴チョー楽しそう!」と言っているようです。 今日のこの記事のために、2人が撮らせてくれたのかもしれないなぁ。とても良い表情。  今日一回だけ泣いて、はいもう終わり!」7月16日 10時00分 - kiyancan

キャンヒロユキのインスタグラム(kiyancan) - 7月16日 10時00分


【御礼 そして妹のこと】

7月7日、披露宴を無事に執り行いました。

ご列席いただいたみなさま、ありがとうございました。おかげさまで楽しい式になりました。
これまでお世話になったみなさんを招待したかったのですが、会場のキャパにも限界があって、どうしても招待できない方もたくさんいらっしゃいました。すみません。

またFacebookなどを通してお祝いくださったみなさん、ありがとうございます。

最後の挨拶で、はじめて人前で妹のことを語りました。

ご存知の方も多いと思いますが、僕には6歳下の妹がいました。

彼女は11年前の28歳の時、婚約者とともに交通事故で亡くなりました。
高速道路で、居眠り運転の車に追突されたのが原因でした。

その日は父の還暦のお祝いの日で、両親、妹、婚約者、遅れて僕が参加、5人でつつましいながらも楽しく過ごしました。

嬉しいニュースがあった日でもありました。妹がこれまで何度もチャレンジしていた教員採用試験にその年合格、「これまでは南部に住んで親孝行できなかったから、中部勤務希望って出したからねー」と語ってくれたこと。
その年か来年には、入籍しようと考えていることなど。

人見知りで、いつ実家に寄っても車で待っていた婚約者が、うちの父のお祝いだからと長居をして、たくさんおしゃべりしてくれたようです。
婚約者がうちの実家に上がってこんなにゆっくり過ごすのも初めてのことで、それも両親を喜ばせたひとつだったのかもしれません。

そして、妹と婚約者がいざ帰る、という時。
普段は僕がお酒を飲むので、いつも妹に送ってもらうのですが、その後に用事があったので、「今日は飲んでないし、自分で帰る」と言って、駐車場まで行き、2人を見送りました。生きた2人を最後に見たのは僕でした。

その後、あの事故があり(実際は事件として取り扱われいます)、2人は亡くなりました。
あの2人が僕をこの世に残してくれた、とみんな悲しみながら話しました。

僕もそう思います。

そう思いながらも片隅には、自分だけ生き残ってしまった感が頭に浮かぶこともありました。
自分の残った人生から10年削ってでもいいから、あの2人と1晩でも会って、乾杯していろんなこと話したい、と考えていました。

うちの一家は「本当に楽しそうな、理想の家族よね」と母の友人らに言われていましたが、あの瞬間から「一番悲しい、辛い家族」という風にみなさんの目に映っていたかもしれません。

そんな家族を救ったのが、僕が仕事で関わる芸人やテレビ、ラジオ、舞台、そして星槎の生徒や先生らの存在でした。

披露宴の挨拶でお話ししたので詳しくは述べませんが、本当に感謝しています。

僕は事故の当時、仲良くしている女性がいました。
あの事故があって、僕は当時悲しみを帯びて生きていたと思います。
そんな僕とうまくいくはずもなく、別々の道を進むことになりました。

その時に「私は、妹さんのことはやっぱり背負えない」

とぽつりと言われました。
その人には今でも感謝しかありませんし、全く恨んだりはしていません。
本当に「ありがとう」の一言です。

ただ、僕は一緒に背負ってもらおうという気もなかったし、もし僕が疲れたら背中をさするくらいでいいのにな、と思いました。

それからも、いろんなご縁や出会いがありました。
ですが、もともと自分からなかなか気持ちを言うほうでもなく、いざという時に「妹のことを背負えない」と言われてしまわないかと、ふと思ってしまっていました。

また、そう思ってしまうことを言うことで、重たく考えさせてしまわないかと考えすぎることもありました。
生き残った自分だけ幸せになってもいいのか、と考えることもありました。

あれから11年経ちました。

11年かかりました。

本当にみなさんのおかげで、毎日ハッピーに生きたい、と言えるようになりました。

もう僕はこれからの人生、ブレることはないと思います。

妹と婚約者が亡くなったその日、自分の中で決めたことがありました。 「2人の葬式も含めて、自分が死ぬまでこれから起きることを全部しっかり見て、生きていこう」

いろんな人と会って笑いあって、たくさん旅に出て、いろんな美味しいものを食べて、いろんなものを見て、いつか2人に「こんなことがあってさ〜」と話せたらいいな、と。
人生10年削って2人に会うのではなく、その10年、たくさん笑って、その話を2人に話そう、と今では思っています。

と、真面目に語りましたが、みなさん、そして嫁さんと一緒にこれからも楽しく仕事もプライベートもワッハッハと笑いながら過ごしていきたいと思います。

みなさんに、社会に、生徒やこどもたちにたくさんのお返しをしていきたいと思います。

これからもよろしくお願いいたします。

感謝。

父の還暦祝いに2人と撮った写真も載せておきます。
賑やかなことが大好きな妹が「お兄ちゃん披露宴チョー楽しそう!」と言っているようです。
今日のこの記事のために、2人が撮らせてくれたのかもしれないなぁ。とても良い表情。

今日一回だけ泣いて、はいもう終わり!


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2019/7/16

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